【ボヘミアン・ラプソディ】キャスト紹介(1) ラミ・マレック(フレディ・マーキュリー役)
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ボヘミアン・ラプソディに出演しているキャストの紹介です
ラミ・マレック(フレディ・マーキュリー役)
クイーンのボーカルでインド育ちにコンプレックスを持っている青年。
スターにのし上がってからは自身のセクシャリティに戸惑いながらも、常に愛を探し求めている。
世界的なスーパースターのフレディ・マーキュリーを演じたのは、ラミ・マレック
正直、彼のルックスを初めて見たときは
「え・・・これがフレディ?」と思ったのですが、
彼の演技を見て、なぜ彼がフレディ役に選ばれたのか納得しました。
ただ単に入れ歯を入れて出っ歯にしてパフォーマンスを真似してっていうモノマネ合戦じゃない。
フレディのしぐさや喋り方を似せただけじゃない。
フレディの可愛らしさ、愛おしさまで醸し出していたことに驚きました。
ラミ・マレック
1981年5月12日アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ
主にドラマに出演しており、主演ドラマ『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』ではエミー賞主演男優賞を受賞している実力派俳優。
同作品でゴールデングローブにもノミネートされている。
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人気が出たのは2005年放送のドラマ『The War at Home』で演じたゲイの隣人役だった。
他にも日本でも人気だった『24』にも出演。
同時に映画の仕事にも積極的に挑戦。
ナイト ミュージアムシリーズではエジプト国王アクメンラー役を演じている。
ボヘミアン・ラプソディのフレディ役は2016年11月4日に正式に決定。
ラミは役が正式に決まる前からクイーンやフレディのパフォーマンスを研究し、
インタビュー嫌いで有名なフレディの貴重なインタビュー映像も徹底的に見て勉強していたそう。
研究の結果もあり、見事役を勝ち取る。
フレディのパフォーマンスシーンでは最初、振付師が雇われていたそうだが、
「彼の動きは振付じゃないんだよ」と意見を出し、モーショントレーナーと一緒に演じるフレディの動きを決めていったそう。
The Ellen Snow(オフィシャル)より
「カメラマンにも僕が次にどう動くのか、どこに行くのかさえ教えたくなかった」
と語っていますが、たしかにフレディは予測不可能な動きをして観客を魅了していましたね。
インド出身がコンプレックスだったというフレディと同じく、ラミは移民の子でした。
そのため感情移入も容易だったようです。
厳格な親に育てられたフレディは将来の夢はミュージシャン、
ラミも俳優になりたいと親に打ち明けるときは胸が痛んだそう。
子供にはもっといい生活をしてほしいとの願いでアメリカに移住した両親のことを考えると
さぞ辛かったでしょうが、今の成功を見てご両親も喜んでることでしょう。
そしてラミはなんと現在、メアリー・オースティン役のルーシー・ボイントンと交際中!
撮影から盛り上がってしまったのでしょう!
ファンにとっては嬉しいニュースですね。
そんなラミがクイーンの中で一番好きな曲は
「Somebody To Love」だそうです。

Somebody To Love
Queen Officialより
Somebody To Loveは「ボヘミアン・ラプソディ オリジナルサウンドトラック」にも収録されています
オープニングを飾る壮大な曲で既に涙腺が緩んだ人も少なくないはず。
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フレディ・マーキュリー
クイーンのボーカルで「映画ボヘミアン・ラプソディ」の主人公
フレディ・マーキュリーと言えば、口髭に白いタンクトップ姿のゲイというイメージが強いですが
デビュー当初はエキゾチックでちょっと王子様のような独特な雰囲気でした。
そして当時は長年付き合っていた彼女もいました。
LGBTが普通になった現代ですが、
当時はゲイだのバイだのエイズだのマスコミにひどい扱いをされてきましたね。
1946年9月5日タンザニア/ザンジバル島ストーン・タウン生まれでペルシア系インド人
出生名はファルーク・バルサラ、クイーンに加入したのとほぼ同時期にフレディ・マーキュリーに改名。
作曲した主な代表曲
「ボヘミアン・ラプソディ」
「輝ける7つの海」
「キラー・クイーン」
「Don't Stop Me Now」
8歳の時、ボンベイ(現ムンバイ)のパンチガニにある全寮制英国式寄宿学校に通う。
7歳からピアノを習い始め、寄宿学校では既にバンドを組んでいる。
当時の友人談ではフレディはラジオで聴いた曲をすぐにピアノで弾いてしまうほどの能力を持っていたそう。
1963年にザンジバルへと戻り、家族と暮らし始めますが
ザンジバル革命が起こり、一家はイングランドのミドルセックス州フェルサムへと移り住む。
フレディはアイルワース工業学校(現在のウェスト・テムズ・カレッジ)に入って芸術を学び、
その後にイーリング・アートカレッジへ進み、芸術とグラフィック・デザインの修了証書を受け取っている。
彼の芸術的なセンスはちゃんと学校に通っていたからなんですね。
クイーンはメンバー全員が高学歴な珍しいバンドで、
フレディのセンスはクイーンのイメージ作りに大いに役立ってたわけです。
クイーンのロゴデザインだけでなく、ファッションも担当。もちろん絵もとても上手です。
フレディは本名ファルーク・バルサラという名がロックに合わないとの理由で改名していますが、
マリリン・モンローのように自分自身をセルフプロデュースするセンスもあるのでしょうね。
クイーンとして売れる前は映画の通りヒースロー国際空港で働いたり、
ロジャーと一緒に古着屋を経営していており、
フレディが気に入っていた服を勝手にロジャーが客に売ってしまうなんてエピソードもあります。
なんと可愛らしいふたり。
その当時と思われる写真をロジャーがインスタグラムにアップしていました。
洋服に囲まれた写真がとってもおしゃれです。
そして二人とも洋服屋の店員でこのルックスでしょ・・・
あ~もう絶対モテてたはずだわ!
クイーンに加入する前から付き合っていた彼女は映画でも出てくる
メアリー・オースティン。
彼女はフレディの遺産のほとんどを相続しています。
フレディ自身「もし僕がゲイじゃなければ結婚していた人」と言っていたように
まさに遺産相続額が配偶者と同じくらいの金額だったようです。
それをあまりよく思わなかった(?)のがフレディの最後の恋人
ジム・ハットン
彼はフレディが亡くなるまでの7年間恋人として過ごしました。
この7年間はジムの優しい愛に溢れた期間だったのだと信じたいですね。
実際ジムは弱っていくフレディを見捨てず、介護も引き受けていたし、
フレディからHIVをうつされても、フレディには言わなかったそうです(´;ω;`)
そんな優しいパートナー、ジムを連れてお忍びで日本にも遊びに来ていたフレディは
大の親日家であり、新宿二丁目にあるゲイバーにも通っていました。
映画の中でも日本のものが溢れている家に住んでいましたが、
実際のフレディの家には日本の骨董品が沢山あったそうですよ。
家の庭はわざわざ日本から庭師を呼んで日本庭園を造ったそうで、
庭には桜の木や鯉がいる池もあったそう。
インターネットもなかった時代なのに日本の美術品にとても詳しかったと
当時の日本人のボディガードさんや通訳さんが証言しています。
もし彼がまだ生きていたら、もっと日本で遊んで、日本語勉強して
今でもクイーンのメンバー引き連れて来日公演してくれてたのかな~
と思うと・・泣けてきますね(´;ω;`)フレディ爺ちゃん
どんな爺ちゃんかな。自分貫いてて格好いいんだろうな。
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